草木図譜 アルソミトラ・マクロカルパ


アルソミトラ・マクロカルパの種子
 19世紀末、ドイツのオットー・リリエンタールは自作のグライダーを用いた滑空実験を繰り返していました。1891年に80mの滑空に成功して以来2000回以上の実験を行い、最終的にその飛距離は300mに達したと言われます。しかし1896年のある日、彼の操るグライダーは風にあおられて失速、リリエンタールは地面に激突して死亡します。
 ライト兄弟はリリエンタールの成功と死に学び、飛行機を失速させず、安定した飛行を継続させるための「操縦」の重要性を悟ります。風洞と模型を使った実験を繰り返し、同時に本業の自転車製造技術を駆使して、ガソリンエンジンを開発します。こうして作ったライトフライヤー1号によって、ライト兄弟が飛行距離260m・滞空時間59秒の飛行に成功したのが1903年のことです。
 ライトフライヤー号は複葉機であり、自然界には存在しない形です。ところがこのライト兄弟と同じ時代に、自然界の生物を模した飛行機の製造を試みた人物がいました。ボヘミア(当時はオーストリア・ハンガリー二重帝国の一部)の織物製造業者エトリッヒ父子、イグナティウスとその息子イゴの二人です。彼らははじめ、コウモリの翼をコピーしようとしましたが、これはうまく行きませんでした。複雑なはばたきを再現するのが難しかったのでしょうか。
 何か適当なモデルはないかと模索していた折、イゴはアルソミトラ・マクロカルパの種子の滑空に関する論文を目にします。彼はこの種子の滑空性能が非常に優れていることを知り、種子の模型を入手して研究を重ねました。1906年には人間が乗ることのできるアルソミトラ型グライダーを、1909年にはエンジン付きのアルソミトラ型飛行機を制作しています。しかし、このようなアルソミトラ型飛行機(全翼機)は安定性に問題がありました。そこで尾翼を付け加えたモデルを制作し、1910年に飛行に成功させています。このようにして完成した飛行機は、どちらかというと鳥に似た姿となり、「タウベ(Taube)」と名付けられました。タウベというのは「ハト」という意味です。
 エトリッヒのハト型飛行機・エトリッヒ タウベは優れた性能を持ち、第一次大戦の初期には、オーストリア・ハンガリー二重帝国およびドイツの軍用機(主に偵察機)として盛んに用いられました。エトリッヒははじめ、ドイツのルンプラー社とライセンス契約を結んでいましたが、同社の契約不履行に怒り、設計図を一般公開してしまったそうです。このため多数の会社がタウベを生産し、いろいろなバリエーションが誕生しました。

 アルソミトラ・マクロカルパは高木に絡んで生長する蔓植物で、数十メートルに生長したところで、人の頭ほどもある大きな果実を付けます。果実は熟すと下に穴が開き、風で揺れるたびに、羽根を持った種子がふわふわと飛び出してきます。ひとつの果実の中にある種子は数百枚で、きれいに「収納」されています。
 アルソミトラ・マクロカルパの種子の滑空比(滑空距離:落下距離)はおよそ4:1で、つまり1m落下するごとに4m滑空することになります。果実が地上30mの位置にあるとすると、そこから飛び出した種子は120mの距離を滑空するわけです。しかもこれは無風状態の時の話で、実際には風に揺られて種子が飛び出すわけですから、普通は風に乗ってそれ以上の距離を飛んでいくことになります。距離などのデータは記録されていませんが、海上の船の上に到着した例もあるそうです。
 私は実際に種子を飛ばしてみました。手に持った種子をそっと離すと、多少上下しながらじつにきれいな滑空を見せてくれました。アルソミトラの種子の翼の形には変異が大きく、中には左右があまり対称ではないものもあります。実際に飛ばしたところ、ブーメランのように手元近くまで戻ってしまうものもありました。このような「ばらつき」があることによって、種子の散布場所にもばらつきが生じるのでしょう。そして、そのことがアルソミトラの種(しゅ)の存続に有利に働いてきたのかもしれません。親株の根元に落ちるものは、親と同じ恵まれた環境に生育することができます。親株から遠く離れた場所まで飛んでいくものは、あるいはより恵まれた環境に出合う能性を持っているというわけです(同時に、より劣悪な環境に出合う可能性もありますが)。

アルソミトラ・マクロカルパ 異名/ザノニア・マクロカルパ 和名/ハネフクベ(羽根瓢?)
学 名 
Alsomitra macrocarpa (Blume) M. Roem. 異名 Zanonia macrocarpa Blume
分 類 ウリ科アルソミトラ科
原 産 熱帯アジア
タイプ 木本(蔓性)
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