草木図譜 インドボダイジュ


高さ10cmあまりの挿し木苗に隠頭花序が付いた 2004.07.05
インドボダイジュの種子(1目盛りは1mm)。種をまく時にはピートモスなどの上にそっと乗せ、上に土を掛けずに鉢底から吸水させるとよい。これは購入したもの
 紀元前五世紀のインドで、ひとりの修行者がアシヴァッタ樹の下に場所を定め、幹を背に、東を向いて静かに座りました。両の足裏が天を向くような形、すなわち結跏趺坐(けっかふざ)の姿勢で、「悟りを開くまでは、私は決してここから動かない」という決意をもって。修行者はシャカ族出身のゴータマ・シッダルタ、つまり釈尊で、その決意通りにアシヴァッタ樹の下で悟りを得ます。このためアシバッタ樹は「正しい悟りの智の木」を意味するボーディ・ドルマ(bodhi-druma=菩提樹)と呼ばれるようになりました。フィクス・レリギオサ(Ficus religiosa)、インドボダイジュがこのボーディ・ドルマです。
 インドボダイジュは、ガジュマルやインドゴムノキ、ベンジャミナやウンベラータ(フィクス・ウンベラータ)などと同じ、クワ科イチジク(フィクス)属の植物で、原産地では高さ二十m以上に生長する高木です。インドボダイジュをはじめ、イチジク属の植物のいくつかは絞殺木、ストラングラーツリー(strangler tree)と呼ばれています。これは鳥に運ばれた種子がほかの木の上で発芽し、たくさんの気根を伸ばして宿主をがんじがらめにし、やがて宿主を枯らしてしまうからです。インドボダイジュの成木の幹は、融合した多数の気根に覆われて、非常に太くなります。祠や石像などの上で発芽することもあるため、気根の中にこれらのものが包み込まれていることもあるそうです。
 葉は先端が尾のように長く伸びるスペード形。「尾」の部分は右か左に曲がっているのですが、この曲がり方には何か規則性がありそうです。我が家のインドボダイジュのうちの一本は、右に曲がった葉の上に左に曲がった葉、その上にはまた右に曲がった葉、というように交互に付けています。しかし別の一本はまた違った付け方をしているので、もう少し観察してみようと思っています。葉には長い葉柄があり、葉は先端を下向きにして垂れ下がります。この葉はわずかな風を受けてはためき、葉同士が打ち合わさって絶えず音を立てていますが、これはインド神話に登場する精霊たち、森の精霊ヤクシャ、天界の楽師キンナラやガンダルヴァたちの奏でる天楽とも言われています。インドボダイジュは落葉期間の短い半落葉樹で、インドでは3月ごろに葉を落とし、ほどなく新しい葉を展開するそうです。なお、新葉はピンクがかったとても美しいものです。
 インドボダイジュの花は外側から見ることのできない場所にひっそりと咲きます。その構造を知るために、同じ仲間のイチジクの「実」を見てみましょう。イチジクの「実」のように見える部分は花嚢(開花後は果嚢)と呼ばれるもので、その内側にたくさんあるひとつひとつの小さな突起がそれぞれひとつずつの花に相当します。インドボダイジュも小さなイチジクのような花嚢を付け、その内側に無数の花を咲かせます。
 インドボダイジュの学名Ficus religiosareligiosaというのは「宗教的な」という意味のラテン語です。ヒンドゥー教においても聖なる植物とされ、インドボダイジュの根には宇宙の創造を司る神・ブラフマー、枝には維持・繁栄を受け持つ神・ヴィシュヌ、幹には宇宙の破壊を司る神・シヴァが住むとされています。またこの木自体がヴィシュヌの化身ともされ、その妃である女神・ラクシュミーが宿るとも言われています。
 シヴァは「吉祥」と「破壊」の二つの側面を持った神ですが、破壊神としての顔を見せるときはマハーカーラと呼ばれます。マハーカーラは破壊・死・時間の神ですが、仏教においては仏法の守護神、軍神とされ、中国や日本では大黒天と呼ばれるようになりました。日本においても、もともとは大黒天の像は恐ろしい怒りの表情で表されていましたが、室町時代ごろから「大国主命」と同一視されるようになり、打ち出の小槌を持って米俵の上でにっこり笑う、あの「大黒さま」となりました。余談ですが大黒天は台所の神でもあり、このことから日本では僧侶の奥さんのことを俗に「大黒」と呼ぶようになりました。なおラクシュミーは中国・日本では吉祥天と呼ばれ、いずれの国でも美と繁栄の女神であることに変わりはありません。
 インドの人々は敬意をもってインドボダイジュに接し、むやみに傷付けたり抜いたりすることを戒めているそうです。この木の下で裁判や結婚式、その他の宗教行事を行い、枝や葉を儀式に用い、また時としてインドボダイジュそのものを礼拝の対象とします。インドではインドボダイジュとベンガルボダイジュを対にして植える習慣があり、ベンガルボダイジュを夫、インドボダイジュを妻として、結婚式を挙げてから植え付けるということです。
 「本当の菩提樹」であるのに「インド版菩提樹」、インドボダイジュという和名が付けられているのはちょっと変ですが、これは近年インドボダイジュが日本に導入された時、ボダイジュという和名を持つ植物がすでにあったからです。ボダイジュというのはシナノキ科シナノキ属に属する中国原産の落葉高木で、インドボダイジュとは縁の遠い植物ですが、葉の形がやや似ています。中国・日本の多くの地域ではインドボダイジュを屋外で越冬させるのは難しいため、寺院の庭にはシナノキ科のボダイジュが植えられています。「菩提樹の代わり」であるこのシナノキ科の植物がボダイジュと呼ばれていたため、「本当の菩提樹」であるFicus religiosaが「インド版菩提樹」と呼ばれる逆転現象が生じてしまったというわけです。
 ちなみにシナノキ科のボダイジュの種子を中国(宋)から日本に持ち帰ったのは日本臨済宗の祖・栄西ですが、彼はまたチャ(茶)の種子をもたらしたことでも有名です。安眠をもたらすハーブとして有名な「ボダイジュ」(リンデン)もやはりシナノキ属の植物で、その正体はコバノシナノキ、別名フユボダイジュです(セイヨウシナノキの場合もあるようです)。なお「菩提樹の数珠」と呼ばれるものの多くは、ホルトノキ科のジュズボダイジュの種子で作られたもの。インドボダイジュの種子は非常に小さくて数珠の珠には適しません。

インドボダイジュ(印度菩提樹) テンジクボダイジュ(天竺菩提樹)
*参照→ベンガルボダイジュ
学 名 Ficus religiosa L.
分 類 クワ科フィクス(イチジク)属
原 産 インドから東南アジアにかけて
タイプ 半落葉樹
栽 培 水はけのよい土に植え、日当たりのよい場所で栽培する。春〜秋には屋外の日なたで栽培するとよい(日陰にあったものに急に直射日光を当てると、葉が日焼けを起こすので注意)。挿し木は気温の高い時期に行い、1〜2枚の葉を付けた枝を赤玉土などに挿す。肥料は春〜秋に。耐寒性が強く、0℃前後で越冬する
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